分析と全体性
振り付けを楽譜に起こして分析するのはリズムの理解にとても役立つと思いますが、分析するだけになってしまっては多くのものを見落としてしまうことになる気がします。
目の前で踊られている振りを言葉や音符で分析して捉えるのではなく、感覚器官を総動員して全体として一気に呑み込む、そういう全体性の体験があってこそ、分析が活きてくるのだろうと思います。Don't think, feel!というやつでしょうか。
逆に全体性の体験だけを重視しすぎると、どこかで行き詰まる気がします。理論があればこそ自分を客観的に分析し、足りないものを認識して表現のフィールドをひろげていけるのではないでしょうか。
仮に理論と全体性が車の両輪とすると、その大きさに極端な差があると車は同じところをぐるぐる回ってしまいます。
幸いなことに我々には車輪の大きさをその時その時で調節できる能力が備わっています。
楽譜を書きすぎて頭でっかちになったら時々は身体感覚や全体性に回帰する。逆もまた然り。でやっていきたいです。
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